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義務教育(小・中学校)をあえて不登校で9年間過ごした経験から伝えたいこと

 

小学校の途中から中学校を卒業するまでの間、一切授業に出席なく不登校で過ごしていた。

今後「あえて公教育を選択しない」という人が増えていくと思うし、記事にすることで自分の考えがまとまるかなぁと思ったので、当時の日々を綴ってみる。

もし義務教育制度が本当に良いのかどうか迷っている人がいたら、この記事が少しでも参考になれば嬉しいです。

 

義務教育から離れていった理由

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自分が小学校に入学したのは、2009年(仮)の4月。

これまで保育園には通っていたものの、大規模な集団と一緒の空間で学ぶという行為を体験したことがなかったので、とてもウキウキしていたように思う。

友人たちと放課後にガラクタ集めをするなど、バラ色の小学校生活が始まった。さぁ、いよいよしょうがっこうせいかつのはじまりだ!

 

もちろん学校内では、楽しいことばかりではない。集団内で持ち回しで人をいじめていく”集団内イジメ(?)”に対し「馬鹿馬鹿しいなぁ」と思いつつ、上手く回避しながら楽しい生活を送っていた。

一般的に公教育から離れていく理由の1つとして、”イジメ”が挙げられる。どうしても閉鎖的なコミュニティ内においては、”風穴”を開けるために集団とは異なる個人を対象としイジメが行われる。

そこで特別な容姿であったり、他の子と違う価値観を持っているとイジメの対象になってしまう。本来それぞれの人が「個」を持っているはずなのに、イジメの対象にならまいと集団内の価値観に迎合していく。かくいう自分もその1人であった。

(いじめの原理については、『いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか』という新書が参考になります。)

 

上手く回避しながら学校生活を送っていたのだけれど、一般的な価値観に迎合し続けられるほど我慢できる人間ではないことに気づいた。

そもそも、抑圧されながら生きるのはどう考えてもおかしい。もし”いつか役に立つ”ことであっても、その瞬間瞬間で「生きている」という実感がなければ、それは死んでいるのと同じようなものなのでは・・・?

当時から思いを言語化出来ていたわけではないけど、ある日体調がおかしくなって学校を休んだ。母も昔に姉が不登校で休んだ経験があったので、あっさり「じゃあ学校行かなくていいじゃない?」となった。

 

学校には行かず、家庭で勉強して知識を付ける”ホームスクーリング”という方法がある。

アメリカでは一般的なスタイルとなっており、日本でも少数ながら実践している家庭が存在する。

自身は勉学よりも、自分の思ったように好き勝手できる環境を欲していた。別にあらかじめ決められたパッケージは必要ないので、とにかく自分で色々なものを作って行きたい。様々なものに関心が及ぶので、納得するまでじっくり取り組みたい。飽きたら次々に実験することのできる環境が欲しい。

 

そんな息子の事情を知ってか知らずか、まさにピッタリの学校を母が提案してきた。

当時の自分はインターネットにこそ触れてはいたものの、「義務教育制度外の学校で学ぶ」という選択肢があることを知らなかった。

小学校とは180度異なる学校だったので、最初は「なんだここ・・・」と思ったものだが、結果的に入学する形になった。

 

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(小学校へは通わず、義務教育制度外の教育以外の学校で平日になんかやってる姿。懐かしい。。。)

 

小学5年生に入学してから高校に通い始めるまでの4年半、一切授業に出席することはなかった。

その間は自分の好きなことをし、ただただ興味のままに実験を繰り返してきた。

結果的に、公教育から離れたほうが良かったのどうかはわからない。好きなことを追求して嫌いなことをどんどん省いて言った結果、立場や肩書き、お金は(今のところは)一切残りませんでした。残ったのは、ただ「ああ、なんか自分の道を歩いているんだなぁ・・・」という根拠のない実感だけ。

 

ただなんとなく生きるほうが楽なのは間違いない。とりあえず就活して、とりあえず家庭を持って、”とりあえず”生きていくこと。

それでは我慢ならないし爆発してしまうから、”自分はどうすれば満足するんだ?”と日々実験しながら過ごしています。これがいい人生かどうかは、死ぬときにしかわからない。

ある意味「問い」を疑問を持った対象全てに投げかけているから、こうなるのかもしれない。得てしてこういう環境に来る人は皆色んなことを考えていたりする。

 

そんな自分が、義務教育制度から離れて感じたことを3つほど共有しておきます。

 

「普通」という価値観から脱却すると幸せになれる

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「小・中学校に通わせるままでいいんですか!?」と悩んでいる両親に限って、”普通”という価値観に囚われていることが多い。

そもそも”普通”という概念が非常に曖昧なもので、集団によって変化してゆくもの。

「バリバリ教育してます!」という親が集まるコミュニティでは進学校が”普通”の選択であろうし、義務教育外の選択肢を選んだ両親のグループはそれが普通となる。

 

「様々な教育を広めよう!」という趣旨のイベントを開催すると、「義務教育外の学校ってこんなに選択肢があるの!」と驚き、ホッと胸を撫で下ろす両親の姿を度々目にする。両親が今までそういった経験をしたことがないので、焦ってしまう。そりゃそうだ。

もし子どもが不登校になったら、「なぜ学校に行かないの!」「学校に行くのが普通なのに!」ではなく、ぜひとも義務教育外の教育を探したり、イベントに出席してほしいなと思う。

子どもだって苦しいと思うけど、その状態では両親が一番苦しいと思う。「子どもを育てなければならない」という責任と、選択の権限を全て担っているからだ。両親が苦しむ状態も「どう考えてもおかしい」ので、「本当は自分たちはどうしたいの?」をじっくり親子で話し合ってほしいなと思います。

 

多様な教育を受けたからといって、「人」そのものは変わらない

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「公教育以外の教育を受けたら特別な子どもに育つ!」みたいな話がチラホラ聞こえるのだけれど、実際に当事者の1人である自分は「いや、変わらないでしょ・・・」と思う。

確かに環境を変えることで、気持ちがガラッと変わることは多々ある。自分も義務教育制度は必要ないなと思って別の学校を選択してから、明らかに態度が変わった。

また、学力的な向上が必要だと思っている場合、指導が上手い学校なり塾に行けば一気に学力が向上する。すると生活の質が向上し、今まで予想もしていなかった豪遊生活を送ることができるかもしれない。

 

ただどれほどの教育を受けようが、「人」そのものは変わらないでしょう。公教育を受けようが公教育外の教育を受けようが、根本的に自分自身の性質は何も変わっていない。

もし教育で人を根本的に変えることが出来るとすれば、それは奴隷教育だけだ。人格を破壊しない限り、その人そのものは変わらない。

あえて通常とは異なる学校を選択した人たちと会ってみてほしい。確かに感性の違い等はあるかもしれないが、それは通常通り学校に通っている人たちも同じであって、劇的な変化を感じられるわけではない。

 

教育の選択1つでその後の環境が変わることはあるので、重要であることは間違いない。

むしろ教育の選択よりも、「人との出会い」のほうが強烈に人生に作用しているのだけど。

「どの教育を選ぶか」は非常に重要な選択ではあるけど、個々の人格が根本的に変化するほど作用するものではない。一時的に「人格が180度変わった!」という現象は起きるのだけど、それは成長する過程において必ず発生することで、気に病むほどではない。

 

「どの環境であれば、一番希望を叶えられるのかな?」くらいの気持ちで教育を選んだほうが楽だし、結果的にはよくなると思う。気楽な気持ちで選んだほうがワクワクするし、深刻な状態で選ぶと”リスクを回避する気持ち”が一番に出てしまう。それでは、自分に合う環境なんて到底見つからない。

 

義務教育制度は”良い”システムだ

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公教育以外の学校で学びましたというと、「やっぱり(公教育は)ダメなんですか?」みたいな質問がたまにくる。

確かに公教育以外の選択をした時点で、なんらかの問題を認識しているということ。

ただ自分はそれ以外の教育を経験した上で、「義務教育制度は”良い”システムだなぁ」と過去を振り返ってみて思う。

 

学校の環境が良いなと感じる瞬間を振り返ってみると、システムより「どれだけ自分にとって素敵な人に出会えたか」だった。

前述した通り、教育より人との出会いのほうが自分にとっては影響が大きかった。「教師は当たり外れが激しい」みたいな話をよく聞くけど、それは公教育だろうが、それ以外の教育だろうが同じだ。

教師の過労問題はまだまだ未解決だ。それでも素敵な教師や同級生に出会うことはある。自分の場合、小学校で素敵な同級生は見つけられなかったけど、「この人はすごいなぁ」と思う教師何人かと出会った。それは今でも自分の心のなかに深く残ってるし、一生忘れない。・・・多分。

 

公教育とそれ以外の教育を経験した上で、義務教育制度は素晴らしいシステムだと思った。

ただしこれは自身の意見であって、どのような環境であれば一番”個”を発揮できるのか?効率よく学ぶことが出来るか?は個々人によって異なる。

選択の結果、「あえて義務教育制度を利用しない」ことや、「不登校になる」決断をしてもいい。世の中の絶対に固執しなくてもいいんです。逃げてもいいんです。そうやって、ある”絶対の価値観”から離れて初めて、「もっと自由な価値観で過ごしていいんだ」とか、「義務教育制度って実は素晴らしいシステムなんだ」ということを理解できるようになります。

 

ちなみに、義務教育を受けないからといって、憲法違反にはなりません。(憲法26条)

”親には”普通教育を受けさせる権利があるが、子ども側に義務があるわけではない。つまり子どもが拒否すれば、憲法違反にはならない。

 

本来、公教育は強制的に受けさせられるものではなく、自分が選択しているもの。同じ土俵にその他の教育が点在してるということ。その意識を持つと、もっと学校選択に対するハードルが下がると思う。

現状では公教育一辺倒なので、もっと自分に合った教育を模索してもいいと常々思っています。

 

おわりに

以上、つらつらと勝手に自分の経験をまとめながら書いてみました。

あくまで自分の価値観であって、人に押し付ける気はありません。ただ他の教育があるということを知るだけで楽になる人がいるのは事実で、実際にそんな人たちを何組も見てきた。

もっと自由に学校を選択していいし、それぞれに合う学校が見つかればいい。それがいいのかどうかは時が経たないとわからないけど、現状では悩んでいる人が多すぎる。

 

社会のあり方によって教育の形も変化していくので、いずれにせよ完璧になることはない。

常に改善されていくものだし、まさに今教育の形が変わり始めている。

”絶対”とされる義務教育を選択するのもいいのだけれど、自分としては「もっと別のあり方を考えてもいいんじゃないの?」と思いました。

 

それぞれに最適な教育の環境が見つかりますように。

4 COMMENTS

OJA

“親には”普通教育を受けさせる権利があるが、子ども側に権利があるわけではない。つまり子どもが拒否すれば、憲法違反にはならない。”

この「権利」は「義務」の誤記ではありませんか?
せっかくの主張がこの誤記で台無しになっちゃっているような気がします。

義務教育の制度は、確かに親が子供に教育を受けさせる「義務」をもって、(なんらかの方法で)子供に教育を受けさせることですが、
教育を受けさせる「義務」と、教育を受ける「権利」のつり合いについては、現代も議論があるようです。

この点を除いては、あなたのご見識に大賛成です。
人生は日々実験と検証の繰り返し、応援しています。
たったひとつのドラマチックな人生を、あなたがエンジョイできますように。

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yonesuke

OJAさん
わお!大変なところを誤記してしまっていますね。ご指摘、感謝致します!修正させていただきます!

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サイ

ヨネスケさんが通ったなんでもさせてくれる学校はなんという名前でしょうか?今、子供のためにそんな学校を模索中の母親です。

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yonesuke

サイ様、連絡が大変遅くなって申し訳ありません。

僕が通っていたのは、「サドベリースクール」という学校です。時間割も授業もなく、子どもが自分で「学びたいこと」を企画し、話し合いの場で発表して予算をもらい、学びを行っていく、というような学校です。
現在では全国に8校ほど存在するようです。参考にしていただければ幸いです。

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